ユっぴー シェフの履歴書
今年、創業32周年目を迎えるシェフが作る気取らない洋食
レストランユっぴーは2024年12月8日で開店から32周年を迎えます。
当店のシェフは、今年で84歳になります。
お祝いのお手紙やお花など、本当にありがとうございます😭
昭和15年、北見の食堂を営む家で産声をあげ
子供の頃から食べる事が大好きで、
少年時代は家業の手伝いのため、
映画館でアイスクリームを売り、親のために食堂を手伝う日々でした。
その後、札幌グランドホテルに入社。
調理師になるため、がむしゃらに勉強しました。
そして、思いました。
本当の洋食ってなんなんだろう?....。
真の洋食を学ぶため、言葉も何もわからないまま
たった一人でヨーロッパへ渡りました。
最初に入った国はスイスです。
ホテルの面接をパスし、スイスの五つ星ホテル
ベルビューパレスに入る事ができました。
右も左もわからない。看板も読めず、トイレも間違えて一苦労。
毎日、身を削るような思いで、懸命に言葉を覚え、料理を学びました。
ひとつ間違えば、ファイヤー=クビなのです!!!
即、日本に帰らなければならなくなる。
ひとつでも多く学んで帰るために、必死でした。
とにかくヤルゾー‼️
勉強のノートは、いつもその言葉で締めくくっています。
そんな中、修行時代の親友の加藤さんと(元帝国ホテルベーカー長)S.ワイル氏のお誕生日会に誘っていただく。。。✨という大変光栄な経験もさせて頂きました。辛いことも楽しいことも、感動いっぱいの海外修行。。。
その後、
レストランツーンシュトルヘン(ドイツ・フランクフルト)や
ホテルエアポート(スイス・チューリッヒ)
イギリス女王も通ったグロブナーハウスホテル、
カリビアンクルーズで有名な豪華客船
世界で、そして日本で、
命懸けで、一生懸命修業を積んで参りました。
その当時は1$365円。
日本人はまだまだ世界で認められにくい時代でした。
会社の後ろ盾も何も無い。たった一人の海外修業。
しかも、稼いできた大金のほとんどは、味を、サービスを学ぶために
海外の有名レストランや、五つ星ホテルで
食べて食べて食べまくって使い果たしてしまいました…。
すべてを、脳に舌に腕に刻み込んで…
身一つで帰ってきました。。。
現在81歳のシェフ。
世界中で出会った人々。
大切な友達や常連さん、たくさんのお客さま
そして、支えてくれている、スタッフのみなさん。
たくさんの人々のやさしさ。愛情に助けられながら、
見守られながら。。。ユっぴーが存続できています。
いつまで現役で働けるかわかりませんが、
ユっぴーの味を好きな方がいらっしゃる限り、
朝から、晩まで、
今日も、ただ唯、作ります!
ご来店下さったお客様が喜んで下さって、
私達がとっても嬉しい気持ちになって
その瞬間、みんなが愛で包まれるような。。。
そんなお店として存続できていけたら、
とても幸せだと思います。
どうか本日のご来店が、皆様にとっての心地よいひとときとなりますように...♪
世界中で苦しまれている方々が、1日も早く、心からの笑顔で笑い合える日がやってまいりますよう切に願っております。
新型コロナウィルスに罹患され、亡くなられた方々のご冥福を、心よりお悔やみ申し上げます。
昭和32年 4月 矢田食堂入社(調理師見習い)
昭和39年10月 札幌グランドホテル入社
昭和41年 7月 ホテルベルビューパレスベルン入社(菓子界の神さま加藤信氏と出会う)
昭和43年 7月 レストランツーンシュトルヘン入社
昭和43年12月 ホテルエアポート入社(コミュ・ド・キュィズィーヌ)(名料理人・親友小川春男氏と出会う)
昭和44年 6月 ホテルグロブナハウス入社(アシスタント・クック)
昭和45年10月 ポセイドンカンパニー入社(アメリカ客船18500トン)シェフドパルティー
昭和46年 5月 東京レバノン大使館入社(チーフクック)
昭和46年 6月 東京・大阪・神戸など日本の洋食を学び歩いた。
昭和50年 4月 芙蓉カントリークラブ入社(レストラン料理長)
昭和53年 4月 JR札幌弥生会館入社(総調理部長)
平成4年12月8日 レストラン ユっぴー(当初はレストランクロンボ)を開業 ~現在に至る~
中国河北省石家荘の亜太大酒店ホテルにて1ヶ月の料理指導を経験
令和元年 7月25日 札幌市より、名誉調理人として認定され、円山にある包丁塚に名前が刻まれました。
↓右手側はヨーロッパ時代の親友 菓子界の神さまとも呼ばれている 加藤信氏 左側が当店店主
包丁塚に名前が刻まれました✨